略伝年譜
7.文武二道

夫、兵法と云事、武家の法也。将たるものハとりわき此法をおこなひ、卒たる者も此道を知べき事なり。今世の間に、兵法の道たしかにわきまへたると云武士なし。先、道を顕して有ハ、佛法として人をたすくる道、又、儒道として文の道を糺し […]

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6.死とその後

五輪書と武蔵の死  1643年冬、60歳の武蔵は『五輪書』の執筆を開始した。執筆に先立ち、10月上旬熊本の西にある岩戸山〔いわとのやま〕に登り、観音と諸仏に執筆成就を祈願した。ここは、岩戸観音という観音信仰の霊場として今 […]

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5.晩年の九州

豊前小倉へ移る  明石城主・小笠原忠政は、1632年播磨から九州豊前の小倉(1)へ配置転換となった。これは、肥後国の熊本城主・加藤忠広(1601~53)が領地を召上げられ、失脚したためである。この政治的事件は、三代将軍・ […]

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4.大坂陣・播磨時代 

大坂の陣に参戦する  20代終りに諸国遍歴修行を切り上げた武蔵は、おそらく、また京都に住んだであろう。決闘勝負は卒業しても、武蔵の知的芸術的修行は続いたはずである。これは「文武両道」のうちの「文」(文化)の修行である。そ […]

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3.無敵の兵法者  

巌流島の決闘  十代の武蔵は、新免の兵法家を相続し、兵法者として自立し、同時にさまざまな流派の兵法者と試合をしていたようである。だが、いつだれと試合をしたか、それらの履歴はほとんど不明である。 そのなかでも例外がある。つ […]

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2.出身・少年期

生年と出生地、及び出自  宮本武蔵は、1584年に播磨国(現・兵庫県)に生まれ、1645年に肥後国(現・熊本県)で死んだ。数えで62年(満で61歳)の生涯であった(1)。  武蔵の出生地については、彼が自身の兵法書(五輪 […]

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1.史的背景

 宮本武蔵(1584~1645)は、どういうわけか、日本では史上最も有名な人物の一人である。なるほど、彼は、最強の兵法者の一人であり、同時にすぐれた芸術家であった。いわゆる「文武両道」の模範のような存在であった。それゆえ […]

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お知らせ
播磨武蔵研究会アーカイブサイト立ち上げ

故 鈴木幸治さんが作られたサイトを、スマホでも読みやすいようにブログ形式のサイトでまとめていくことにしました。極力抜けの無いよう記事を纏めていきますが、本業ではないため時間がかかるとは思いますがご理解の程、よろしくお願い […]

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